1994年発売の1stアルバム。
日本盤のタイトルは“Definitely Maybe”ではなくタイトル無し、若しくはセイムタイトル扱い。
地元のディスクユニオンにて輸入盤で購入。
このアルバムが発売された94年、自分は浪人生でした。
当時は春先にblurが“Park Life”をリリースし、夏頃にこのアルバムが発売され、そして冬にStone Rosesが数年ぶりの2ndアルバムを発売と、ブリットポップが盛り上がる契機となった年だったと思います。
oasisはデビュー前からレコード店にて激プッシュされていて「何か知らんけど凄いバンドが現れた」感をかもしていたので自分もそそのかされて聴いてみたんですが、気持ち良すぎて嫌いになる理由なんか無いって感じでしたよ。
oasisの歴史とか詳細はwikiとかに載ってますが、かいつまんで書くと、
・91年にイギリスのマンチェスターで結成
・94年に1stアルバムを出してブレイク
・その後も売れ続けながら2009年に解散
うん、こんな感じ。
主なメンバーは、ボーカルがリアム・ギャラガー(弟)、リーダーで作詞作曲担当のギターがノエル・ギャラガー(兄)。
今wiki見て知ったんだけど、oasisのバンド名の由来はイギリス南部のswindonにある「オアシス・レジャーセンター」からなんだそうな。
この“Definitely Maybe”を誤解を恐れずにざっくりと評するなら、
歪ませまくったギターサウンドに、
誰もが歌いたくなるようなメロディを載せて、
大声で高々と歌い上げる、
そんな単純明快なアルバムだと思います。
当時、oasisのライブ映像を見た世界中のバンド少年が
「え?見た目ダサくね?」
「これだったら俺でも全然弾けるんじゃね?」
「つーかこれだったら俺の演奏の方が上手くね?」
と、誰もが気付いたと思います。その点でも衝撃的であり、多くのバンドマンに「見た目や楽器の演奏力は問題じゃない!」と夢を持たせたバンドでもありました。
ちなみにoasisはその後、トータル7000万枚のセールスを記録します。
実際、このアルバムの曲はどれも演奏しやすく、当時の大学のバンドサークルではoasisとNirvanaのコピバンが乱立しました。
自分も、大学に入学しバンドサークルに入って、1ヶ月後にあった新歓ライブで初めてバンド演奏したのが、やっぱoasisでした。
このアルバムに入ってるSupersonicとDigsy's DinnerとColumbiaをドラム叩いたよ(´・ω・`)
何かもうハッキリ言ってドラムが簡単でした。
oasisの初代ドラマーが相当ヘタクソだったらしく、作曲担当のノエルはこのドラマーでも叩けるようなクソ簡単なアレンジにしたそうです。
Supersonicとか、ドラム叩いて3ヶ月目とかでも1曲通して叩けるよ。ホントに。ちなみにドラマーはこのアルバム出した翌年クビになりました。
大事なのはリズムキープだけやね。この曲の場合。ドラムの教則にも良さげかと。
他にギターやベースも歴半年もあればなんとか弾ける程度で、初めてバンド組んでカバー曲演るならこのoasisの1stは相当オススメです。
以上、UKロックにおける歴史的傑作です。
当時はその単純明快さや演奏力、ヒネリの無さから馬鹿にする向きもありましたが、単純でかつ魅力的な作品を作るのはセンスが要求されて難しいことだと思いますよ。ノエルギャラガーは凄いよ。
自分は楽器屋で試奏する時にDigsy's Dinnerを弾きたくなってしまうんですが、ノエルが
smallerというバンドのボーカルDigsyとセッションした時に即興の歌詞で「今日のディナーはラザニア!ラザニア!」みたいな事を叫んだのを見て爆笑して後日この曲の歌詞を書いたって話がすごい好きです。